トルコの墓石

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トルコで一番好きだった場所の話。
今でもはっきりと思い出すことができる。あの場所、そして風。
サフランボルという古い家並みの残る観光客のわりと多い町があって、その町からバスで1時間ほどいったところにその小さな村はあった。
ヨリュク村という名前の村。
ゆっくり写真を撮りながら隅々まで歩いても1時間もあればまわれてしまうような小さな村だった。
暑い日で、観光客もおらず、村の人たちは家の中にいるようで、クリーム色の砂埃舞う路地には誰もいない。
しんとしずまりかえったその村で、軒に咲く赤い薔薇がまぶしいほどに光っていた。
そうだ、要らなくなった靴に植物を植えているのを見たのもあの村だった。
靴を植木鉢変わりにしていて、ぶらさげたり玄関先に置いてあったりしてとてもかわいらしかった。

忘れられないのはそこからの帰り道。
行きはバスが親切に村の入り口まで乗せてくれたが、帰りはバスは村まで来ないようなので、遠くに見える幹線まで歩くこととなった。
集落の最後の家を見送ると、そこは一面の草原と幹線までのびる細い一本道のみ。
ずっとずっと向こうまで続いている草原は規則正しくたなびいている。
ところどころにぽつりぽつりと小さな木が生えていて、細道沿いには背の高い野花がさわさわと風に揺れていた。
そして、その広い草原のところどころに、雑草に囲まれたいくつかのお墓があったのだった。
白い墓石には木の陰がするすると風が吹く度に光っていて、どういうのだろうか、私にはお墓たちが気持ちよさそうに静かに寝そべっているように見えた。
大きいものや小さいものがあったけれど、それらは一様に、ただひっそりとそこに並んでいた。
手入れのされていない周りの野草が風に揺れて触れれば、それはどんなにか心地いいだろうか。
ああこんな風になれたらいいのにと思ったのだ、私は。
それは全く知らない誰かの死のやすらかさだった。
私もいつかそうなれるのだ。誰のものでもない、ただそこにある死というものに。
あの時心を通り抜けたやすらかさを、その風の柔らかさを、
あの光景と共に私は思い出す。
そしてそこはトルコの旅で一番美しいと思えた場所なのだ。